サムライ伝 最新情報

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13.09.10『作家メシ ~浅倉卓弥編~』 4.芽キャベツ

『サムライ伝』著者・浅倉卓弥さんの書き下ろし!
コアなファンが付きつつあるfacebook特別企画、『作家メシ』4回目です。
お料理好きには本当に興味深いお話です。ぜひシェアしてくださいね。

『作家メシ ~浅倉卓弥編~』
4.芽キャベツ

ここらで春野菜の話をもう一つだけ。こちらは前回のスティック・セニョールよりはよほど一般的ではないかと思うのだが、よくビーフ・シチューなんかに使われている、名前の通り見事にキャベツの形をしているのに大きさはちょうどピンポン玉くらいしかないというあれである。見るたびにその都度改めて、いやはや芽キャベツとはまさに見事なネーミングだなと感心させられてしまう。
たぶん誰でもそうすると思うのだけれど、さすがにピンポン玉を一口で頬張るのはややきついので、まずしっかりとフォークで押さえながらナイフで縦に二つに割る。すると構造もやはりキャベツそのものである。中央に芯があり、葉が気紛れな整然さとでも呼ぶのが相応しいような佇まいで折り重なって、ちょうど葉脈のような模様を描いている。シチューであれば、その現れた切断面にソースを多少付けてから口に運ぶ。歯ごたえも味もまさしくまだ極めて若いキャベツという感じである。
そういう訳でこの前までずっと、漠然とではあるけれど芽キャベツ畑とでもいったようなイメージをどこかに描いて持っていた。畝に沿って小さなピンポン玉をつけた短い茎がまっすぐに並んでいるとでもいった感じである。あるいはキャベツがごく若いうちに収穫されるのかと思ったこともないでもないけれど、よく考えてみればそんなのはあまりに非効率的であるといわざるを得ないだろう。同じ手間で収穫量が格段に減ってしまう訳だから、とんでもない高級食材になってしまうに違いない。
ところがである。先日訪れたあるイタリアン・レストランの入り口に、この芽キャベツの鉢植えが据えられていたのである。正直ちょっとした衝撃だった。棕櫚の木のような幹から直接、この芽キャベツがびっしりと列を成して並んで生えていたのである。たとえは悪いがどことなく岩壁に張り付いたフジツボの一群を思わせるような様相だった。
調べてみるとこの和名姫甘藍なるアブラナ科のこの植物、大きい種類のものでは一メートルを越える高さにまでも育つらしい。確かに僕が出くわしたのもちょうどそのくらいの丈があった。もちろんそれはあくまで茎であり決して樹木の幹ではないのだけれど、どことなく、いわば野菜離れしているとでもいった感じに思えた。それでもやはり分類学上はキャベツに極めて近い仲間なのだそうである。確かにそうでなくては困る。
さて、この芽キャベツも先のスティック・セニョールと同様に、最初に茹でるなり蒸すなりして中まで柔らかくしてからさっとバターで表面を炙って塩だけ振っても十分に美味しくいただけるのだけれど、やはり洋風のソースとの相性がよい。シチューはもちろんのこと、市販の鮭料理用のトマトクリームソースに合わせたりしても面白い。何よりもそこにあるだけでなんとなく気分が春めいてくる。あるいはこれもまたネーミングの妙のせいなのかもしれないが。いうまでもなく、春は新芽の季節である。

13.09.04『作家メシ ~浅倉卓弥編~』 3.トマト

『サムライ伝』著者・浅倉卓弥さんの書き下ろし!
facebook特別企画『作家メシ』3回目です。
 
『作家メシ ~浅倉卓弥編~』
3.トマト
 
昨今はとにかくトマトが大流行りである。スーパーでも目移りするほどの数の種類が並べられている。品種の枚挙はここでは控えておくけれど、とにかく野菜売り場の一角がそこだけそれこそ火事みたいに赤い。中に混じってパプリカが並べられているのはご愛嬌というものであろう。世界的に見ても、ソースやケチャップにも使用される関係で、野菜の中でもトマトの消費量は圧倒的なのだそうである。
さて、トマトといえば思い浮かぶのはまずイタリア料理ではないかと思われる。ピザ、パスタ、ラザニア、リゾット。あの国の人々はとにかく何にでもトマトを使えばいいと考えているような印象さえある。もっとも実際に同国に滞在したことは残念ながらまだないから、本当にイタリア人の食生活がトマト一色なのかどうかは確信がない。しかし、ケチャップで味をつけたスパゲッティがナポリタンと呼ばれ今でも通用しているくらいなのだから、おそらくさほどの誤解ではないのだろうと決め込んでいる。
しかしながらこのトマトの原産地は、ご存知の向きもあるかと思うが南米大陸なのである。ということはつまり、コロンブス以前にはヨーロッパにはまったく伝わっていなかったということである。だとすると、それより前の時代のイタリア人は毎日いったい何を食べていたのだろう。時にそんなことがふと訝しくも思えてくる。
もっともイタリアという国家に関していうならば、成立はもっと後の時代の出来事ではある。確かドイツでビスマルクが鉄腕を振るっていた頃だ。だがそれはこの際まったく問題にはならないはずである。ローマ時代から脈々と地中海沿岸に暮らしていた陽気なラテン民族たちが、コロンブス以前の何百年という間いったい何で自身の主食であるパスタを味付けしていたのか。そもそも彼らはいつ頃から小麦という作物を、パンではなく乾麺にして口に入れることを始めたのだろう。トマトを切りながらふとそんなことを考えてしまうこともある。
まあだが、今や天婦羅やすき焼きが日本料理の代表格である訳だし、僕らだってはたして鎌倉時代の食事が本当にはいったいどんな味だったのかなど十分にわかっているのでは決してないのだから、食文化というのは想像以上にダイナミックに変化していくものであるのかもしれない。ちなみにあの家康の病死の遠因となったのが伝わったばかりの天婦羅だったという話は、真偽はともかくとして巷間まことしやかに囁かれていたようだし、もう一方のすき焼きに関していえば、調理法はもちろんそもそもが牛肉を食べる習慣さえ、明治以前の日本には存在しなかったはずである。
話はやや逸れるが、それにしても坂本九の『上を向いて歩こう』が『スキヤキ』というタイトルでアメリカに紹介されたのは、あきれるというかなんというか、いったい誰が考えたんだよ、と今さらながらつくづく感じいってしまう。些か無理やりではあるけれど、たとえるならそれは、イタリア現地での大ヒット曲を輸入する際その邦題に、歌詞の内容などまったく無視して『カプレーゼ』とつけるようなものである。
という訳で話はどうやら無事トマトに戻ってきたようである。このカプレーゼとは、もうすっかりポピュラーだとは思うのだが、念のために軽く説明しておくと、トマトとモッツァレラ・チーズ、それにバジルで作るイタリアのサラダである。サラダというからには基本は洗って切って並べるだけで済む。マリネなどに使われるビネガー系のドレッシングが一番合うのではないかと思う。
あるいはバジルの味がややきつい向きには、ほうれん草でもルッコラでも小松菜でも、サラダ用と銘打ってあるものであれば何でも代わりにしていただいてかまわないのではないかと思う。それでもなんらかの緑色は是非忘れずに同じ皿に添えていただきたい。というのも、まあやはりとっくにご存知の向きも相当あるだろうとは思うのだが、カプレーゼのこの赤白緑という配色はイタリアの国旗に見立てられているからである。なるほど国民的料理になる訳である。
わが国の肉じゃがとかぶり大根とかがそうであるように、定番と呼ばれるメニューになるような食材の組み合わせにはやはりそれなりに理由があるもので、トマトを生で食するのであれば、なんだかんだいってもこの組み合わせでいただくのが一番美味しいような気がする。もし手に入れば軽くピンクペッパーなんてものを振ると、味も複雑になり彩りもより華やかになることを蛇足ながら付け加えておく。

13.08.27『作家メシ ~浅倉卓弥編~』2.ナス

『サムライ伝』著者・浅倉卓弥さんの書き下ろし!
facebook特別企画『作家メシ』2回目です。
 
『作家メシ ~浅倉卓弥編~』
2.ナス
 
気がつけばナスをよく買っている。ほとんど季節を問わず手に入るようになっているせいもあるのだが、何より使い勝手がいいのである。でもどうしてそう思っているのだろうかと改めて自問して、どうやらあまり手間がかからないところが気に入っているらしいと気づく。我ながら怠惰な話ではある。
軽く水洗いしてヘタをとり適当な大きさに包丁で割っただけで、ほとんどの場合基本的な下ごしらえとでも呼ぶべき部分はもう終了しているといってよい。ジャガイモやニンジンのように皮を剥くことから始めなくてもいいし、玉ねぎやキャベツのように芯や傷んだ部分を取り除いたりする必要もない。葉物は切る前からして場所を取るし、洗うのにだってそれなりに神経を使う。そのうえ根も落とさなければならない。
考えてみればナスの調理とはなんと簡単なのだろう。当然の帰結として出てくる生ゴミの量も極めて少なくて済む。これ、結構重要である。さすがにあまりにも楽ばかりしているようでなんとなくナスに申し訳なくなり、近頃は切った後水に晒して灰汁抜きをするくらいの手間はかけるようにしている。
それにしても、改めてつくづくと眺めると何とも不思議な色合いをしている。茄子紺とはよくぞいったもので、ほかに上手い形容詞がすぐにはまるで浮かんでこない。ほとんど黒といってもよいのだが、口に入れるものをその言葉で呼ぶのは何だか憚られる。紫ではあるのだが、決して青と呼べるものではない。おおよそ食材にはとても似つかわしくない種類の色味である。ほかに例を探してもイカ墨か古代米くらいしか思い当たらない。とりわけ野菜にかぎっていえば、ほかに挙げられるものは見つからないのではないかと思う。
彩りのほかにもう一つ気になっているのは、どんな栄養素が含まれているのかが今一はっきりとわからない点である。ニンジンならカロチンとか、トマトならリコピンとか、大仰なのかコミカルなのかわからないようなネーミングの成分が含まれているらしいのだけれど、ことナスに関してはそういう情報が喧伝されているのを見たことがない。ビタミンDの場合のシイタケみたいに、この栄養素が足りない時にはナスを取れば良いんですよ、なんて類の話も寡聞にして知らない。
そんなナスだが、やはり油を使った料理との相性が極めてよい。麻婆茄子や揚げ浸しあたりがすぐに挙がるのではないかと思う。ひょっとするとそれ自体の味よりも、料理全体の味の染み込んだ食感を楽しむべき種類のものなのかもしれない。ギリシャ料理のムサカなど、その最たるものであろう。
おそらくあまりそういう使い方は見かけないのではないかと思うのだけれど、タイ料理のバジル炒めにこのナスを使うとこれが意外に結構いい具合に仕上がってくれる。玉ねぎとナスを適当な大きさに切り、塩コショウで下味をつけた鶏挽肉と一緒に炒める。大体満遍なく火が通ったら同じフライパンにバジルを加え、全体に再度軽く塩コショウを振り、最後に赤唐辛子とナンプラーを加えて味を整える。これで調理は終了である。カレーライスよろしくご飯と一緒に同じ皿に盛り付けて、そこに目玉焼きを載せればそこそこにエスニックな気分が味わえる。手に入ればフクロダケを加えるとさらに雰囲気が増すのだけれど、缶詰のマッシュルームの水煮でも十分に代用が利く。どちらにせよ、キノコは縦に二つに割っておき、バジルより少し手前のタイミングで鍋に放り込めばよい。

13.08.20『作家メシ ~浅倉卓弥編~』 1. スティック・セニョール

『サムライ伝 ダダイ編』の連載もいよいよ後半に突入!
本編のラストスパートに合わせて、facebook新企画がスタートします!
『サムライ伝』の著者、浅倉卓弥さんに書き下ろしていただきました、題して『作家メシ ~浅倉卓弥編~』
浅倉さんが愛でる食材とレシピをご紹介していただいています。
このレシピは、きっと真似したくなるはず…。挑戦された方、ぜひ、ご感想をお寄せくださいませ~。
1回目は「スティックセニョール」です。
 
『作家メシ ~浅倉卓弥編~』
1.
スティック・セニョール
 
不惑を過ぎて、気がつけばさらにもう五年以上もの月日が経過している。次の大台もいつのまにすぐ目の前である。どうやら知命というらしいのだが、いずれにせよもう二十代三十代とはずいぶんと違うものだなと我ながら改めて感じるのは、野菜の味にずいぶんと敏感になったことである。実際若い頃はほとんど意識しなかった感覚である。我知らず極力新鮮で美味しそうなものを選ぶようになっているし、何よりも変わったものにお目にかかるとひどく喜ばしく感じる。
野菜の種類に現在見られるようなヴァリエーションが生まれたのは、中世はベルギー辺りのキリスト教の修道院での出来事なのだそうである。彼らが日々額に汗しながらあくなき品種改良を重ねた結果、おそらくはレタスやカリフラワーや、あるいはパプリカ辺りの原型が生まれたのではないかとも想像される。ひょっとして映画『薔薇の名前』でのショーン・コネリーの役どころであった人物も、あるいは日常的にはそんな業務にも従事していたのかもしれないな、などと考えると、なんだかひどく不思議な気持ちになってきさえしてしまう。
そういう訳で、という訳でもないのだけれど、時折鎌倉まで足を伸ばして野菜を物色してくることがある。すでに鎌倉野菜という呼称はブランド名にもなりつつあるけれど、何より産地直送だし、一風変わったものが手に入ることも多いのである。
ここで春先に出回ってくるのが、このスティック・セニョールなる代物である。決して細身のスペイン人男性を示すスラングではなく、ブロッコリーの一種である。もっとも形状はどちらかといえばアスパラガスによく似ている。アスパラの一本ずつにあのブロッコリーの先端部分がついていると思っていただくとわかりやすいかもしれない。もっとも房の部分の密度はもう少し緩い。どちらかといえば菜の花に近い。
このスティック・セニョールを軽く二分ほど下茹でし、それからバターを敷いたフライパンで弱火のままゆっくりと時間をかけて火を通す。穂先にやや焦げ目ができるくらいが食べ頃である。火を止めて軽く塩をまぶせばそれでもう完成する。もし多少の手間を惜しまないのであれば、茎だけの部分は茹でる時間をやや長めにすることをお勧めしておく。香ばしさと苦味と、それから茎野菜特有青臭い甘さが渾然となって楽しめる一品に仕上がるはずである。

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