ニワトリ★スター 最新情報

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13.09.03《たなか雄一狼プロフィール Vol.6》

お待たせしました!たなか雄一狼さんのプロフィール連載。
第6回目です!
 
《たなか雄一狼プロフィール Vol.6》
アジーの実家にある薄暗い地下室を照らす赤い照明と、
ビリヤードの台と、ボロボロのターンテーブルとレコード。
そして壊れかけのブラウン管式テレビで、
皆がスポーツ中継を必死で見ていた光景だけが脳裏に残っています。
ジャミロクワイのスペースカウボーイという曲がヘビーローティションでした。
 
その地下室はアジーの友人や親しき近隣の住人の溜まり場的だったと思います。
ほぼ全員が黒人でしたが一人だけベアーと呼ばれる、
体格の大きく気の優しい白人もいました。
ですが、そのベアーは車で生活していると知った時は驚きました。
 
黒いサンタクロースの人形がある事を知りました。
 
黒人の全員がラップやバスケが上手ではないと言う事を知りました。
 
当時で40歳を過ぎていたアジーの兄上が、
一度もその街から出て旅行に出かけた事がないと聞いて驚きました。
外国旅行など夢みたいな話だと笑いながら話しているのを聞いて、
なんとなく切なくなった事を覚えています。
ですから海外生活経験のあるアジーは、家族の中でも国際派的な扱いを受けてよく冷やかされていました。
アメリカは華々しく、派手な国だと思っていました。
NYや一部の都市のイメージを極端に捉えていたからです。
 
ですがアジー達は日々、同じ街の、同じ通りで、同じ事を繰り返し、
テレビを見て、安いビールを飲んで、葉巻を吸い、ビリヤードをして。
私達はそれが退屈と思っていましたが、徐々にその感覚も麻痺してゆき、その時の流れの中で酩酊したまま、何かしらの楽しみを見つけるようになりました。
そして週末はボウリングや映画館に行くといった程度のイベントを、
楽しみにしているアメリカの平均的な庶民の素朴な一面を見て、
意外に感じた事が印象に残っています。
当時なりに、大阪での生活はもっと娯楽などにおいても
選択肢が多い事を気付かされたからです。
日常というレベルでは、大阪も同じ様な平坦な感覚も当然ありますが、
日本での生活基本オプションの選択肢が、
アメリカの庶民より遥かに多い事を体感し、
アメリカという国に対して勝手に抱いていた幻影が、
自分の中で消滅した年でした。
 
これは私のプロフィールというものですが、
こうやって書き始めると様々な想い出が多く、
このまま突き進むと“自伝”というような形態になるのでは?との懸念を胸に、今回はこのアメリカ編という章で終わらせて頂きます。
 
次回へ続く?
 

13.08.28《たなか雄一狼プロフィール Vol.5》

気になる、たなか雄一狼氏のプロフィール連載。
本日、第5回目です!
 
《たなか雄一狼プロフィール Vol.5》
古い友人に誘われ音楽を始めました。
ラップです。
 
クラブで働きました。
特に腕っ節が強いわけでも無かったのですが、
趣味程度に練習していたキックボクシングのハッタリで、
仲間と共にセキュリティーという用心棒のような仕事に就きました。
簡単に言うと店内で喧嘩をした客を、外に放り出す役割です。
相手が多勢なうえ凶暴で、危機を感じた事もありました。
今から思えば時給1000円にも満たない額でアホな事をしてたなと思います。
 
その仲間達とバンドもやっていました。
なけなしの金で船旅をし、沖縄にも行きました。
海で知り合った退役し本国に帰還待ちの米兵の黒人アジーと意気投合し、
大阪に戻る予定を変更した宿泊先の無い私達を
基地の中に泊めてくれ1週間ほど世話になりました。
基地の中はアメリカで、スーパーからボウリング場まであり、
沖縄の旅先でアメリカにワープしたような感覚になり、
若い私たちは大興奮でした。
 
その後、そのアジーを頼りに私と友人の二人はアメリカに行きました。
正確に言うと私が渡米する前に、
アジーが大阪の私の実家に1ヶ月程滞在していました。
それから私達が渡米の予定となり、
どういう経緯でそうなったのかは記憶にありませんが、
私たちの滞在先としてアジーが短期間アパートを自腹で借りてくれて、
二ヶ月ほどそこで楽しく過ごさせてもらいました。
アジーにアパートの家賃を払ってもらっている上、
クリスマスか何かのプレゼントとして、
私達はNBAの観戦チケットを要求しました。
英語もろくに話せない私たちとアジーは、
互いにニックネームかニガと呼び合い
「ギヴミーNBA プレゼントNBA ウイ ゴー NBA ニガ」と
非礼極まりない要求を執拗にしたのを覚えています。
文句を言いながらもチケットを買ってくれたアジーです。
おそらく、彼の退役軍人としての退職金のようなものを
私達は食い潰していたのだと思います。
今から思えば、本当に申し訳ない事をしたなと思います。
それと同時に何故アジーは厚顔無恥な私達に、
あれ程尽くしてくれたのか不思議でしかたがありません。
ですが、何かしらのアジーなりの恩返しだったのかな?と解釈しています。
私は“国民性”より“個人性”という感覚をその時に知りました。
それ以外の記憶は、ほぼそのアメリカ滞在中の期間私達は酩酊状態であったため断片的にしかありません。
記憶が無いというのは、私の幼稚園時代と同じですので、
すなわちその時期の私は幼稚園児時代と同じ程度の知能であったのであろうと思われます。
 
(つづく)

13.08.27《たなか雄一狼プロフィール Vol.4》

ご好評いただいております『ニワトリ★スター』の著者、たなか雄一狼さんのプロフィール連載、第4回です!
 
《たなか雄一狼プロフィール Vol.4》
23歳の頃です。
 
その時期からロックンロールが始まりました。
転がる石ころのようにコロコロと転がり始めたのです。
 
厨房という限られた世界で一生を過ごせない己を感じたからです。
 
踊り子の女性と知り合いマネージャーという胡散臭い肩書きで、
全国のストリップ劇場巡業に同行しました。
 
地方劇場の裏方である照明ライティング担当の初老男性と
劇場の裏口の小さなスペースでよく世間話をしました。
 
「俺も昔は映画監督になりたかった」と
微笑みながら語ってくださった事が印象に残っています。
 
踊り子の女性は、通常のダンサーではなく裸体で舞う本職でした。
 
ある意味、女性としての一線を超えた世界で生きる彼女でしたが、
照明へのこだわり、衣装、選曲への執着心など、
踊り子という職人がいる事を知りました。
さびれた劇場に流れる“音ではないブルース”を感じる事に気付きました。
気が付けば、お互い別々の道を歩いていました。
 
(つづく)

13.08.26《たなか雄一狼プロフィール Vol.3》

『ニワトリ★スター』の著者、たなか雄一狼さんご本人に執筆していただいているプロフィール連載、第3回です!
 
《たなか雄一狼プロフィール Vol.3》
80年代は中高生として過ごしました。
武闘派ではなく、都会っ子の屈折した半端な不良として。
この時期に私に本格的な“暗黒面”が芽生えた気がします。
ダークサイドと申しますか…。
 
しかし高校2年の時、日本料理の板前を目指したいという願望が生まれ高校の中退を願い出ました。友人の兄上がその料亭で板前修業を積んでおられ、その方の生き様や思想に傾倒したからでありました。
ですが当時の担任恩師から「高校くらいは出たほうが絶対に良い」と熱意を込め説得された事により中退は思いとどまりました。
基本的にその料亭は、一年に一人の内弟子しか認めず、弟子入りの基本条件が中卒、調理学校を出ていない男子という掟があったのですが、友人の兄上の推薦を得て高校3年の時点で頭を坊主にし、料亭までご挨拶に伺い、親方に弟子入りを願い出たところ幸運にも特例として内定を頂き、高校卒業と同時に入門との運びとなりました。
 
完全寮制で先輩方5人と一部屋、二段ベッド3台の修行生活でした。
それまでは学生として気侭にやりたい放題の生活を送っていましたので、それは、それは厳しく苦しい社会の洗礼でした。
しかも内弟子という特殊で閉鎖的な世界でありましたので、順応するまでは自身で選んだ道であるはずが、まるで刑務所にでも入れられたたような心持ちで最初の数ヶ月は過ごしました。
 
料理の修業を通じ沢山の事を学びました。
 
職人という価値観を体感しました。
 
社会に出ても両親に金銭的な迷惑をかけました。
 
仕事も遊びも学生では味わえない世界を知りました。
 
一度、夜逃げの形で数日間の逃亡生活をしました。
両親に「地元でコソコソ隠れて生きるのか?」と叱られました。
親方や先輩が温かく諭してくださった御陰で、なんとか出戻りさせて頂きました。
 
五年弱の修行でしたが、料理の道以外でも人生において大切な事を学ばせてもらいました。
 
(つづく)

13.08.22《たなか雄一狼プロフィール Vol.2》

『ニワトリ★スター』の著者、たなか雄一狼さんの、プロフィール連載!なんとご本人に執筆していただいています!!
 
《たなか雄一狼プロフィール Vol.2》
幼少期の私は、何やら惚けたような状態の時が多かったようです。
幼稚園でも“風船男”というあだ名を付けられていたと母に聞かされました。
今さらながらですが、その侮辱的な命名に対し民事訴訟を起こしたほうが良いのか?という思いもありますが、そういった無粋はせずに、幼少期の淡く美しい想い出として、心の何処かにしまっておこうと思います。
小学校でも、常に半ズボンがズレ下がっていたようです。
ですが、それは当時の自分を振り返り自己分析をした結果、
近年の若者がジーンズを腰まで下げてはくルーズフィットの先駆けであったのではなかろうか?と思います。
 
その他に記憶にありますのは、
近所の公園で高学年の生徒が爆竹で遊んでいる光景を見たとき、
その爆竹の破壊力に、背筋に稲妻が走るほどの尋常ではない高揚感を覚え、
この兵器を我が手にすれば、日本史において名を刻めるのではないかという、坂本龍馬的な野望を抱いた事を覚えています。
なんとか上級生に媚び入り、爆竹の数束を手にしたのですが、
落ちていた犬の糞に爆竹を刺し爆破したところ、
自身の顔面に破裂した犬糞の破片を浴びるといった惨劇に見舞われました。
これが私の人生で初の“恥辱”という感覚を覚えた時であったと思います。
 
後は、小児ぜんそくを煩っていた時期があり、
学校に行けない日々がありました。
部屋に籠りがちな日々の中、唯一の楽しみが近所の酒屋さんの大将が飼育していたピラニアを分けて頂いた事がきっかけで始まった自室でのピラニア鑑賞でした。
子供特有の残虐性で、餌の金魚を与え、そのピラニアが金魚を獰猛に食する凶暴ながら美しい光景に、脆弱な自身の肉体のコンプレックスを投影し恍惚としていた記憶があります。
その当時、自身の中ではピラニアが地球最強の生物と狂信しておりましたが、
飼い猫リリーが部屋に侵入した隙に、片手でピラニアを救い出し捕食したようで、私が部屋に戻った際には、アジの開きのように片面だけ身を綺麗に失ったピラニアが床に転がり死亡していました。
私が始めて“弱肉強食”という感覚を学んだ時でありました。
 
(つづく)

13.08.20《たなか雄一狼プロフィール Vol.1》

『ニワトリ★スター』は今週からいよいよ後半に突入!
ここで、『ニワトリ★スター』の著者、たなか雄一狼さんの、詳しいプロフィールをご紹介したいと思います。なんとご本人に執筆していただきました!!これから、6回に分けてご紹介していきたいと思います。
衝撃作『ニワトリ★スター』の作品背景がここに、あるかも?無いかも?
 
《たなか雄一狼プロフィール Vol.1》
1971年 大阪生まれ。
大阪の台所と呼ばれる黒門市場の近所で生まれました。
友人の話によりますと、
私が生誕後初の入浴となる産湯は“てっちり”の出汁だったそうです。
おそらく虚言であると思いますが。
 
70年代を幼稚園児、小学校低学年として過ごしました。
昭和中期以降の大阪の下町です。
幼稚園での記憶は、ほとんどありません。
一つ二つと覚えにあるのは、入園して間もない頃、母親が恋しく脱獄と言いますか、脱園を試みた事です。
ただ走って正門を強行突破しようとしただけですが。
途中までは己が韋駄天ではないか?と思えるほど、行く手を阻む先生達の手を擦り抜け、駆け抜け、いよいよ正門が目前に迫り、自由をこの手に掴む!といった直前、待ち構えていた刺客の先生によって捕獲されたのです。
それは私が味わった初の“挫折”であり、
ある種の“殺意”に近い感覚が芽生えた瞬間だったのかもしれません。
 
(つづく)

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